たつき諒の現在と予言の真相|『私が見た未来』と2025年7月の真実
1999年に刊行された単行本の表紙に「大災害は2011年3月」と刻み、東日本大震災の発生を事前に描いていたとして歴史的な注目を集めた漫画家・たつき諒氏。2021年に刊行された『私が見た未来 完全版』は出版界で異例の大ヒットを記録し、彼女が見た「2025年7月」に関する予知夢の記述は、日本中のみならず海外でも巨大な議論と関心を巻き起こしました。
ネット上でのセンセーショナルな拡散や便乗ビジネスが乱立した一方で、彼女が本当に伝えたかったメッセージや、世間を騒がせた「偽者騒動」の裏側、そして現在の活動実態については正確に知られていない部分も少なくありません。徹底した事実関係の検証と残された証言をもとに、たつき諒氏にまつわる謎の真相を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:東日本大震災や著名人の逝去など、夢日記に基づく予知夢が的中したことで『私が見た未来 完全版』が社会現象に。
- 要点2:ネット上の「なりすまし(偽者騒動)」を機に本人が名乗り出て、飛鳥新社より公式復刊と新たな警告が世に出された。
- 要点3:2026年現在、たつき諒氏は予言を「運命の確定」ではなく「被害を最小限に抑えるための事前の備え」として位置づけている。
漫画家・たつき諒の経歴プロフィールと素顔|本名や顔写真の謎に迫る
たつき諒氏は1954年12月2日生まれ、神奈川県出身の元女性漫画家です。1975年に『郷愁』でプロ漫画家としてデビューし、『月刊プリンセス』やホラー系コミック誌などを中心に、緻密で叙情的なサスペンス・少女怪奇漫画を多数発表しました。1999年に刊行された『私が見た未来』(朝日ソノラマ)を最後に漫画界を一度引退し、長きにわたり市井の人として暮らしていました。
読者の間で常に高い関心を集める「本名」や「素顔の写真」についてですが、プライバシー保護および静かな生活を守る観点から、本名・詳細な顔写真は現在も非公開となっています。公の場に登場する際はイラストや当時の著者近影(竜をあしらった自画像など)が用いられており、メディアの前に姿を晒さない姿勢を徹底しています。
関係者の証言によると、本人は極めて穏やかで実直な性格であり、オカルトやスピリチュアルで名を売ろうとする野心は一切持ち合わせていない人物像が浮かび上がります。「単に自分が見た奇妙な夢をノートにメモしていただけで、それが現実と符号していった」と本人が語る通り、あくまで客観的な事実の記録者としてのスタンスを崩していません。
『私が見た未来 完全版』誕生の裏側と世間を揺るがした「偽者騒動」の真相
たつき諒氏の物語において避けて通れないのが、2020年から2021年にかけてネット上を大混乱に陥れた「偽者(なりすまし)騒動」です。当時、絶版となっていた1999年版『私が見た未来』は古書市場で10万円以上のプレミア価格で取引されており、突如Twitter(現X)上に「たつき諒本人」を名乗るアカウントが登場しました。
このなりすまし人物は、複数のメディアや雑誌の取材に応じ、復刊企画を進めるなど大胆な活動を展開していました。しかし、企画の最終段階で原稿の確認や本人確認書類の提出を巡り不審な点が浮上。出版元の飛鳥新社が慎重に身元照会を進めた結果、その人物が全くの第三者による偽者であることが発覚しました。
この事態を知った本物のたつき諒氏が「自分の名前を使って読者を騙す行為を看過できない」と名乗り出たことで、偽者の嘘が白日の下に晒されました。この劇的な経緯を経て、本物の夢日記原本をスキャン・再検証し、新たな書き下ろし解説を加えた『私が見た未来 完全版』(飛鳥新社)が2021年10月に正式出版されることとなったのです。
的中した予知夢一覧|東日本大震災・フレディの死・ダイアナ妃の予言
たつき諒氏が残した「夢日記」には、日付とともに詳細な情景が克明に記されています。その中でも、現実の出来事と完全に一致したことで読者を驚愕させた主な予知夢の事例は以下の通りです。
【過去に的中した主な予知夢と現実の符号】
・クイーンのフレディ・マーキュリー氏の死去
1976年11月24日に「イギリスの有名ロックバンドのボーカルが流行病で亡くなる」という夢を閲覧。そのちょうど15年後となる1991年11月24日、フレディ・マーキュリー氏がエイズによる気管支肺炎で逝去。
・ダイアナ元妃の事故死
1992年8月31日に「ダイアナ?という名前の女性が事故で亡くなる」情景を夢で見る。ちょうど5年後の1997年8月31日、パリでダイアナ元英国皇太子妃が交通事故により急逝。
・阪神・淡路大震災
1995年1月2日、「どこかの街が激しくひび割れ、大打撃を受ける」夢を記録。その15日後となる1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生。
・東日本大震災(大災害は2011年3月)
1996年3月11日に見た夢を元に、1999年刊行の単行本表紙に「大災害は2011年3月」と手書き文字で明記。夢からきっかり15年後となる2011年3月11日、東日本大震災が発生。
彼女の夢日記には「5の倍数(5日後、5年後、15年後など)」のサイクルで現実化するという規則性が見られるケースが多く、この奇妙な周期性がオカルト研究家だけでなく一般の読者にも強烈な印象を与えました。
「2025年7月」予言と富士山噴火の噂|彼女が夢で見た本当のビジョンとは
『私が見た未来 完全版』の中で最も大きな反響を呼んだのが、巻末に追加された「本当の大災難は2025年7月にやってくる」という新たな予知夢の記述です。彼女が1981年および2021年7月5日に見たビジョンによれば、日本列島とフィリピンの中間あたりの海底がボコンと破裂し、太平洋周辺の国々に巨大な津波が押し寄せるというものでした。
この記述はSNSを中心に拡大解釈され、「日本が壊滅する」「富士山が連動して大噴火を起こす」といったセンセーショナルな流言飛語へと発展しました。しかし、たつき諒氏自身の著作や記述を精査すると、以下の事実が明確になります。
・富士山噴火の予言に関する真実
たつき氏が過去に見た夢日記には「富士山が噴煙を上げる」情景が含まれていましたが、これは2025年7月の海底破裂の夢とは別のメモです。ネット上で両者が混同され、「2025年7月に富士山が噴火する」という誇張された噂がひとり歩きしてしまったのが実情です。
・災難の後に訪れる「明るい未来」
重要なのは、たつき氏が夢の後半において「大災難のあと、世界はものすごく輝かしい平和な未来へ向かう」と記している点です。人々が手を取り合い、心のつながりを重視する新しい時代への転換期として描かれており、単なる破滅予言ではないことが強調されています。
たつき諒の現在と最新インタビューから読み解く「予言」への真意
熱狂的なブームを経た2026年現在、たつき諒氏はどのような生活を送り、何を考えているのでしょうか。彼女は新たな単行本の連載など表舞台での活動は行っておらず、静かに隠遁生活を継続しています。
出版関係者や信頼のおける媒体を通じた最新のメッセージにおいて、たつき氏は一貫して「私の夢は、人々を恐怖に陥れるためのものではない」と述べています。彼女自身、予知夢をオカルト的な予言として崇められることを強く拒縮しており、「事前に知ることで準備をし、難を小さくする(減災・防災)」ことこそが夢を見た意味であると説いています。
東日本大震災の教訓以降、私たちは自然災害への備えやハザードマップの確認、非常用持ち出し袋の準備など、日常的な危機管理の重要性を痛感してきました。たつき氏の発信は、現代に生きる私たちに対して「いつ何が起きても大切な命を守れるよう、日頃から備えておくこと」を促す警鐘として受け止められています。
【たつき諒】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:たつき諒氏は現在、新作漫画を描いていますか?
A1:いいえ、漫画家としての商業連載は1999年に引退しています。2021年の『私が見た未来 完全版』刊行時には解説や夢日記の書き起こしを行いましたが、現在も引退状態を保ち、静かに生活を送っています。
Q2:『私が見た未来』の初版が高額で取引されているのはなぜですか?
A2:1999年当時に発行された朝日ソノラマ版は発行部数が少なく、東日本大震災の発生以降に絶版となったため、希少価値からネットオークション等で10万円以上のプレミア価格がつきました。現在は飛鳥新社の『完全版』により、誰でも定価で内容を読むことができます。
Q3:なぜ「2025年7月」がこれほど話題になったのですか?
A3:東日本大震災の年月日を言い当てていた実績に加え、完全版で初めて「2025年7月5日」という具体的な年月が示されたためです。ただし、本人は「準備をして避難すれば助かる」「その後には明るい時代が来る」と伝えており、破滅を予期するものではありません。
まとめ:予知夢の警告を受け止め、私たちが日常を生き抜くために
たつき諒氏の描いた『私が見た未来』は、単なるミステリーやオカルト本という枠組みを超え、日本人の防災意識や自然への畏怖の念を呼び覚ますきっかけとなりました。ネット上のデマや偽者騒動に振り回されることなく、一次情報である著書に立ち返れば、そこに綴られているのは過度な恐怖ではなく「命を守るための準備の大切さ」です。
予言という不確定な現象に過剰に怯えるのではなく、家具の固定や非常備蓄の確認、家族との安否確認手段の共有など、私たちが今できる現実的な対策を積み重ねること。それこそが、たつき諒氏が夢日記を通じて世に投げかけたメッセージに対する最も誠実な向き合い方と言えます。 (出典: た つき 諒(Yahoo!ニュース))